[8] FUJIPET(5)

FUJIPET 試作品

富士フイルムは1954年に写真感光材料とカメラを生産する総合メーカーとして、カメラは高価な精密機械という市場ではなく、写真全体の需要を拡大することが重要と考え、学童や婦人層に持ってもらえるカメラの開発をはじめた。その開発秘話は、富士フイルム創業50年社史編纂の準備段階として制作された「普及40年の回顧」という書籍のなかに記載されているので、その要旨を以下 紹介する。

開発の基本は、1500円程度で、持ってカッコよく、ブローニ―フイルム使用のカメラでありながら、ライカタイプのボディ、1枚のレンズでありながら大口径レンズのような外観、ファインダーにはユニバーサルファンダ―を模したものというデザインを基本にした。

カメラのデザインは、工芸高校等のデザインの先生などに幅広く依頼した結果、当時 上野に新設された芸術大学のデザイン担当の田中芳郎教授に決定した。メカニズムの設計は、異色のカメラの設計家として注目を浴び始めた 甲南カメラ研究所の西村雅貫所長に依頼した。

 

デザインを担当した田中芳郎教授の回想記事が、クラシックカメラ専科6号に掲載されていますので、その要旨を以下 紹介する。

大手フイルムメーカーが子供たちのためのカメラを正面きって企画することに興味と共感をもった。
また、単機能6×6判廉価カメラでは設計からの束縛がなく、形体にエポックを創りだす絶好のチャンスと直感した。

なれたアイデアスケッチからはいらずに、まず3つの掟を自分に課すことからはじめた。
●美しさの中に隠されている形体の基本要素を、シッカリと自分流に解体組織すること。
●形体は単純明快に「丸と四角と三角」に絞り、それ以外は用いないこと。
●「簡単にして拡張高く」をイメージの目標に決めること。

家中のちいさいものを片っぱしからにぎってみて、子供がカメラを操作するときの思いを肌で感じながら、いきなり油粘土で形体を攻めていった。

正面からみて鏡胴の円を抱き込むように外接した大きな三角地域の各頂点に、これも三角形の小さなシャッターボタンを配すれば、小さな手でも両方の人さし指はとどくのではないか。
その三角レバーボタンには①と②で順序を表示し、ワン・ツーとリズミカルにシャッターは切れるし、両手で鏡胴を挟むようなハンドリングは、シャッターぶれを防ぐことにもなる。
子供の喜びそうなお天気マークで絞りを教えたり、大口径レンズに似た内臓フードも格好良くて好かれるかもしれない。
子供は父さんのカメラにあこがれるものだから。

デザイナーとしては、メーカーの積極性に共感して意欲を燃やし、結果としてよりよいカメラを子供たちに贈る機会に恵まれた。