Made in Occupied Japan

日本のライター産業に、ライターの“炎”が再び戻ったのは終戦後間もなくのこと。戦後の混乱期でも、戦時中、金属材料を独占していた軍需産業が崩壊したことから、使い道がなくなったライターの材料となる真ちゅうや鉄、アルミニウムの調達にはこと欠かず、航空機の精密部品を製造していた軍需メーカーがライター産業の分野へ参入してきたこともあり、ライターの加工精度が飛躍的にアップ。中でも、GHQの兵士たちは良いお客様で、彼らが本国に日本製ライターを持ち帰ったこともあり、日本製のライターの評判は高まった。

 とくに、喫煙具関係ではカメラ型ライター(安久製作所)が第一号(1947年)で、大変な人気を呼び、製造に追われたといわれている。なお、市場では、復刻ものも 大分出てきている。

 当時日本が第二次世界大戦で敗戦し、その後アメリカの占領下となり、その1947-1952年の間、日本から輸出する物にはMade in Japanだけではなく、Made in Occupied Japanとする事を義務付けられた。