WELMY35 M3と大成光機

WELMY35 M3と大成光機

当方のカメラ歴は、鉄道の写真を撮りたくて、小学生時代に「START35」を買ったのが最初。

今から62年前のことですが、お使いのお駄賃5円玉を貯めて、やっとのことでカメラは買ったものの、フイルム代・現像代まで考えると、それほど稼働はしなかった。

中学生になって、定額でお小遣いをもらえるようになって、積み立てては、その大半は、写真代に。そして、カメラを買い替えることを決意して買ったのが、「WELMY35 M3」。

そして、写真撮影に本格的に取り組んだということでしょうか。高校に入ると、「YASHICA35 YL」を買い、大学にはいると、「ASAHI PENTAX SV」「MAMIYA PRESS」「MAMIYA FLEX C2」と進化していった。

そんなカメラ歴のなかで、ダイキャストでできた金属製の「WELMY35 M3」は、今でも、愛着があるというか、手元に・・・。

「WELMY35 M3」を製造した大成光機は、戦後、富士光学を解体して、勝間光学と大成光学とに分割したとの説があるが、手元にある資料をもとに、年代ごとにルーツをたどりながら、集約すると、つぎの通りではないかと推測する。

1930年 服部時計店精工舎

時計製造技術を応用し、カメラ用シャッター開発

1932年 東京光学機械 (のちの東京光学)設立

服部時計店精工舎が下請け先の勝間光学カメラ事業を買収し、精工舎測量機器工場と統合し、設立。

1935年 富士光学機械 (のちの富士光学工業)設立

勝間光学カメラ事業買収に伴い、水面下で、勝間光学 勝間氏が画策?して、設立したのではないかともいわれている。

1945年 富士光学解体

戦後GHQの方針で企業解体

1949年 大成光機設立

大由光学と成増光学とが合併し、大由の「大」と、成増の「成」とをつけて、大成光機として発足。

富士光学の「すべての庶民にカメラを」の考え方を受け継ぐとともに、富士光学製カメラ「ライラ」で使われた「テリオナー」レンズを採用して、小型、安価な「WELMY」を開発しているが、ここでも、前出の勝間氏が画策したのだろうか。

1960年 小西六写真工業が買収

大成光機の全株式を取得し、小西六写真工業の傘下へ

1972年 山梨コニカに改称

大成光機を山梨コニカに改称し、小型のコニカカメラの開発製造に邁進

2002年 コニカオプトプロダクト(のちのコニカミノルタオプトプロダクト)設立

山梨コニカは、レンズを手掛ける甲府コニカと統合し設立

 

富士光学ならびに大成光機で培われた小型化のノウハウは、コニカカメラの中でも生かされ、「ジャーニーコニカ」、「ピッカリコニカ」などのヒット商品に受け継がれたといっても過言ではない。

しかしながら、富士光学製「ライラ」がドイツの「ライカ」をもじり、大成光機製「ウェルミー」がドイツの「ウェルター」をもじったネーミングは、この時期だったからできたのだろうか・・・。

わかる範囲内で機種を網羅してみた

大成光機初号機の「WELMY SIX modelW」は、1951年発売とされたが、統合設立前の成増光学製を明示されており、1949年以前に製造されていたのではなかろうか。

「WELMY35 M3」の鏡胴を支えるところは、1951年に発売されたドイツWIRGIN社製「EDIXAーRF」のデザインに似ている。

当時のシンクロ接点が、現在のドイツ型接点のほかに、kodakシンクロ接点、1Pシンクロ接点とどこのメーカーでも多岐にわたって出ているが、WELMYでも同様。

「WELMY SIX L」が、ボデイの色を black   green   red  の3色を発売したのは、蛇腹カメラとしては珍しい。

「PIONEER」は、音響メーカーのパイオニアが、大成光機と同じ住所にあったということもあり、OEMで製作したということか? しかしながら、デザインは、双眼鏡メーカーとして分離された勝間光学が、一時 発売した「セミライラ―」に似ている。

なお、青少年おもカメ倶楽部のブログでもアップしておりますので、ご覧いただければと存じます。

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