[8] FUJIPET(6)

FUJIPET 普及宣伝策

FUJIPETは、1957年7月 東京数寄屋橋ショッピングセンターに、富士フイルムのギャラリー「富士フォトサロン」が開設され、プロカメラマンほか、写真業界関係者を招いての披露がおこなわれ、その披露とあわせて、新製品のFUJIPETの発表が華やかに行われたということについてはふれたが、その時にプロカメラマンにお土産としてFUJIPETをプレゼントしたらしい。そして、その年の9月に、この富士フォトサロンで開催されたプロカメラマンほか写真関連の方々ならびにその家族によるFUJIPET 写真展は話題となった。

芽生え運動には写真材料店も大変な意気込みをしめしてもらえたこと、会社としてもカメラ人口をふやすためには思い切った種まきが必要として、全社一丸となって売りまくったことにより、FUJIPETFUJIPET35FUJIPET EEの3機種でミリオンセラー商品となり、当時のカメラ業界では思いもよらない実績となった。

これだけの実績の最大要因は、ありとあらゆる普及促進策があったからと思われるが、手元にある資料だけでも結構なものだ。

芽生え運動に意気込みを示してくれた写真材料店がお客様との最大の接点として活かしたが、主力のお店には、フイルムの送り方が見えるスケルトンタイプの店頭説明用のFUJIPETデモ機をとどけた。そして、店頭宣伝用ののれん、宣伝配布用てぬぐい、FUJIPET型のチラシを準備した。

マスコミ対策も新聞、雑誌、ラジオスポットはもちろん、開局まもない民放テレビをつかっての宣伝まで展開し、競争会社を驚かせたものでした。これだけの立体的なマスコミ宣伝は富士フイルム始まって以来のできごとであった。

変わり種としては、FUJIPETを買いたいと思わせるようなお客様の拡大策も行われ、その代表的なのは、写真流通商社 浅沼商会がはじめたFUJIPET貯金箱があげられる。10円硬貨をつみたてて満タンになったら、記念品とともにFUJIPETと交換できるという企画だった。

また、FUJIPETを買った人が愛用者カードを送ると、愛用者記念バッジが送られてきたが、この愛用者記念バッジをつけている子供たちは人気のまとだったとのことで、話題性があったようだ。