[Ⅰ] FUJICASIXⅠ型(1) 

 

 

 

 

 

 

 

1.FUJICASIXⅠ型のおいたち

富士フイルムの社史「富士フイルムのあゆみ」より

当社は、戦後、かねてより宿願としていたカメラ部門への進出を企画し、小田原工場に鏡玉部において、レンズの生産と並行して、カメラ生産の計画をすすめた。レンズの設計、試作は順調に進んだが、外注に依存したシャッターとボデイの製作は遅れがちであった。

一方、富士写真光機は、戦後、双眼鏡の生産を再開し、ついで引伸機の生産を進めていたが、小田原工場でのカメラの生産が遅れている現状から、富士写真光機でもカメラの生産を開始、両社で並行生産をすることとした。

そして、1948年(昭和23年4月)、ブローニ―判ロールフイルムを使用する画面サイズ6×6㎝のスプリングカメラ“フジカシックスⅠA” を発売した。この“フジカシックスⅠA” は、f4.5  75㎜のレンズを装備していたが、その後、レンズの改良、シャッターの改良、シンクロ接点の付加、セミ判兼用、距離計連動品を装備したリと、フジカシックスの各種の機種を整備し、当社のカメラ事業創業の歴史を飾った。

日本経済新聞に連載された小林節太郎氏※「私の履歴書」より

富士写真光機は、昭和21年になって、待機中の者を集めて大宮工場で操業を再開したが、ナベ、カマをつくっても仕方がない。技術を温存するため、双眼鏡を細々と作り始めると同時に、民需用カメラの研究開発を進めた。仕事はなかなか思うようにすすまない。

当時日本のカメラメーカーはかなり多数にのぼっていた。富士フイルムも、写真の総合メーカーたらんという気概から、戦前すでにカメラの開発に着手、戦時中は軍の航空用カメラを手がけていた。そあいて、昭和23年4月にはついにアマチュア用の「フジカシックス」を発売した。一般用の手ごろなカメラとして評判も高く、海外にも輸出されたと思う。カメラの生産を担当した富士写真光機大宮工場が操業して2年目である。

小林節太郎氏 富士フイルム創業時より営業の第一線責任者として指揮をふるい、後に富士フィルム3代目社長に就任

写真業界誌「写真興業通信」より

1948年4月8日、箱根渓雲荘にて、報道関係に対して、「天然色フイルム」の発表とともに、新カメラ「フジカシックス」の発売披露ならびに懇親の会を開いた。翌4月9日には、富士フイルム小田原工場にて、シャッター等担当した東洋時計関係者も同席し、東京方面の各卸商、小売商の首脳など約50名を招き、「フジカシックス」の発表とともに、「天然色フイルム」の発表を行ったあと晩餐会を催した。製造会社が積極的に販売部門の人々を招いて懇親の機会をつくったのは、数年ぶりかのことであり、今回の企ては、単に「フジカシックス」「天然色フイルム」の発表以外に、会社の業界態度の一転換を示したものとして、意味深長なるものがあった。

これだけ、華々しくデビューした「フジカシックス」ですが、なかなか当時の資料や広告などの詳細がつかめないのも不思議なことです。

2. FUJICASIXⅠ型は、改良を重ねた機種

富士フイルムのカメラとして産声を上げたのは、「FUJICASIXⅠA」であるのは、間違いない。発表時には、「ⅠA(f4.5)」と「ⅠB(f3.5)」と、「富士フイルムのあゆみ」には書かれているが、「ⅠA」とか「ⅠB」とかは、オープンにされずに、「フジカシックス」として、販売されたのではないだろうか。

FUJICASIX」発売当初よりセールスをしていた富士フイルムの社員から話を聞く機会があったが、そのなかで、「FUJICASIX」は、改良の連続で、仕様の一部変更連絡がある一方で、商品の入庫が極端に少なく、やっとはいってきたかと思ったら、仕様変更がされており面喰ったものだとの話を伺った。カメラ事業を開始して最初のカメラでもあり、戦後の材料不足の中でもあり、GHQの輸出振り向けの指導も強かったこともあったのではないかと想像する。

FUJICASIXⅠA」が1948年4月に発売されてから、最終型となる「FUJICASIXⅠBS」が発売された1950年11月までの約2年半の間に、どんな改良が施されたのか、興味のあるところです。その実態に少しでも近付ければとと考え、入手できる「FUJICASIXⅠ型」をできるだけ譲り受けた。

「レンズ」は、当初、FUJIだったが、社内で大型用レンズの呼称募集をして、RECTARに決まり、その後、FUJICASIXにも採用された。

なお、f4.5は、FUJICASIXⅠAならびにⅠASに、f3.5は、FUJICASIXⅠB、ⅠBS、ⅠC、ⅠCSに使用された。

「シャッター」は、富士フイルムに買収された東洋時計製LOTASだったが、途中からシャッター専門メーカーのNKSに変わった。また、輸出用のFUJCASIXⅠC型には、SEIKOSYA-RAPIDが採用された。

「シンクロ接点」は、FUJICASIXⅠA、ⅠB、ⅠCには、シンクロ接点がついてなく、シンクロ接点があるのは、FUJICASIXⅠAS、ⅠBS、ⅠCSで、「S」表示は、シンクロ接点のあるものを示していると考えるのが妥当であろう。

なお、シンクロ接点にも、変化があり、当初は、珍しい2ピン〔2P〕を採用し、その後、1ピン〔1P〕とか、その後主流となったドイツ式接点もある。

「焦点調節」は、目測方式だが、m表示と、ft表示の2種類がある。

ということで、後で纏めてみるが、同じ型でも数種類あり、なかなか興味深いものがある。