4月のトップページ

今年も早いもので、1/4経過、長~い冬から、春に向かい始めました。 とはいっても、まだまだ、朝晩は氷点下前後の気温、そして、まだまだ、予断を許されない雪ですが、この時期になると、生まれ育った東京との季節観のギャップを感じるとともに、あらためて、日本が南北に細長い国だと思う時期でもあります。 日は長くなり、陽ざしも春めいてきて、気分もさわやかな季節となりました。 年の初めの元旦とは違って、今年も、前向きに元気に活動しようと具体的に考えることができる4月1日を迎えることが出来ました。

着陸機

旭川空港の着陸機の撮影を頼まれた時に、初めて向かったスポットで、頭上を飛んでいく飛行機を撮影した時の感動は、今でも忘れることが出来ません。 その後、数え切れないくらいこのスポットに撮影に、あるいは撮影のご案内をして、10年も過ぎ去ってしまいました。 初めてこのスポットに撮影に行った時に撮影した中の1枚です。 

長い間ドップリと浸かった写真業界を離れてから、間もない時期でもあり、まだまだ、リバーサル主流で撮影していましたので、撮影を頼まれても、リバーサルで執拗に撮影していた時期です。 ということで、絵柄が決まると、デジタル変換を専門業者に依頼してお届けするという作業を繰り返していましたが、その作業から抜け出すために、デジタル撮影に切り替えた時期でもあります。 でも、リバーサルで撮影した原版をときどき見ますが、やはり、デジタルとは違ったなんともいえない暖かさを感じます。

目黒川の桜

数年前に上京した時、丁度、桜が満開で、横浜から東横線で渋谷に向かう途中で、急遽、中目黒駅で下車して、撮影に行きました。 いつもは、通り過ぎてしまうのですが、このチャンスを逃しては・・ということで、慌てて、撮影に行きました。

会社に入社するまで、育ったのは、中目黒駅の隣、祐天寺駅近くの五本木(当時は上目黒)に住んでいましたが、当時は、桜並木はなかったのではないかと思います。 当時は、目黒川支流の蛇崩川は桜の名所で、よく友達と桜を観に行ったものでした。 「そめいよしの」の桜の木は、一般的には、樹命が40年くらいといわれていると、最近になって聞いたことがありますので、「やはり・・・」なんて、納得する自分がいます。

里仁の丘

東京は、桜満開でも、撮影ポイントとして、好きなスポットでもある 上富良野の里仁の丘は、まだまだ、雪の中です。 これから、春に向かって、真っ白な雪に覆われた畑も少しずつ変化をして、景色が変わっていくのが楽しみです。

汽車道の桜

5~6年前でしょうか、上京すると、必ずといってよいくらい、横浜・山下公園の前にあるホテルに宿泊するのですが、予約しようとしたら、団体客を受け入れたとのことで、残念ながら満室とのことで、桜木町近くに宿泊することに・・・。 なんとなく、窓から眺めてみたら、汽車道の桜が満開で、もちろん、撮影。 たまには、宿泊する先を変えてみたら、あらたな発見もあるかも・・と思った次第です。

春の準備

長い冬から春に向かう時、北海道の畑では、必ずといってよいくらい、融雪剤を撒くスノーボートが走り回り、黒い線が描かれます。 この畑を撮影しようと高台のスポットを探すのですが、それらのスポットへ通じる道は、必ずといってよいくらい、除雪されておらず、行くにいけません。 それなら・・と、考えたのが、旭川に戻るときに飛行機の中から・・・とは思うのですが、そんな時には、必ずといってよい位、忘れて、デジカメしか、もって行っていない。 そこで、必ず撮っているのではないかとの気持ちで、かつて撮影したフイルムを保存しているスライドファイルを探してみたら出てきました。 とりあえずは、家にあるフイルムスキャナーで、デジタル変換してみましたが・・・。

ふたつの太陽

円安と産油国の政情不安などにより原油の高騰の影響か、ガソリン代も高くなり、美瑛・富良野に撮影に行き回数も、この冬は激減してしまいました。 でも、撮影したい・・という欲求が冷めてしまったわけではなく、その反動が、天気予報をチェックしながらの、早朝(5時前後)からの、石狩川にかかる「旭橋」と、「旭岳連峰」から昇る日出に加えて、霧氷を・・といった欲張った絵を頭の中にえがき、チャレンジすることが増えました。 氷点下20度前後の気温の中で、待ち続けるのですが、川霧が発生したり、製紙工場の煙が滞ったり、雲が溜まったり・・で、先ずは、旭岳連峰が見えないということで、構想通りには、なかなかうまくいかない結果となりました。

自然の現象ですから、誰を恨むわけでもなく、大体8時すぎまでの、3時間はとどまって、他には何かないかと・・・と探し回り撮影はするのですが・・・。 太陽の位置も変わり、これが、この冬最後かな・・と思った時に現れたのが、ふたつの太陽でした。