[78] FUJICA RAPID 8 P1 REFLEX MOVIE CAMERA
8㎜小型映画市場の需要開拓をさらに進めるために、W-8フイルムの装填や取り外しの操作を簡易化することが最も重要な課題として、新たなシステムの開発にふみきった。この新しいシステムを国際商品に育てるために国内メーカーはもとより、海外メーカーにも呼びかけた。
富士フイルムは、この新しいシステムを「RAPID 8 SYSTEM」として、1964年10月開催の東京オリンピックに向けて、FUJICA RAPID P1の生産を開始した。
この時に、これまで沈黙を守っていたコダックが、「SUPER 8 SYSTEM」を発表した。「SUPER 8」は、従来の「W 8」より、画面サイズの大型化をはかった。
富士フイルムの「RAPID 8」は、「W 8」と同じであったことから、急遽、「RAPID 8方式」を中止して、フイルムサイズを「SUPER 8方式」にあわせて、さらに新しいシステムを開発することにした。それが、「SINGLE 8方式」である。
したがって、今まで、生産してきた「RAPID 8方式」のカメラは製造中止と共に廃棄処分にすることになり、倉庫につみあげられるという無残な結末となった。
「SINGLE 8方式」も好調にスタートし、FUJICA SINGLE-8 P-1 はGOOD DESINE賞を受賞し、受賞記念に、積極的に販売をしていただいた写真店に、倉庫に積み上げられていた RAPID 8 P-1をゴールド塗装して、店頭ディスプレイとして、届けられた(本体内部には貸出展示用表示のプレートがついている)。
FUJICA RAPID 8 P-1
RAPID system構想が決まり、製品化のゴーサインと共に、生産も急ピッチで進み、軌道に乗ったところで、世界の8㎜市場を独占していたコダックが満を持したように、「SUPER 8」を発表したことにより、FUJICA RAPID 8 P-1は、1964年8月に急遽、生産を中止し、幻のカメラとなった。