[11] FUJICA 35 AUTO M & V2

FUJICA 35 AUTO M

FUJICA 35 AUTO M については、まずは、写真業界誌「写真興業新聞」1962年1月10日号の記事を紹介する。

 1962年1月5日 東京株式取引所での新春初相場、山一證券が富士フイルム株を買い進んだことにより、年末最終相場が130円がらみであったのが一挙に30~40円高騰し、その後200円の大台にせまっている。この富士フイルム株を買った理由として、1月末発売予定の「フジカ35 オートM」を材料として「今年はこのカメラがあたるぞ」というような観測から買い人気がたったということのようだ。

 山一證券では、「最初は支店からの注文で買ったが、値動きをみて、他の顧客も一斉にのりだしてきた。優良株の1つであり、百円台にあるのはおかしい」とみている。

今回の株価の材料とされたのは、新型カメラ「フジカ35 オートM」の発売だが、海外からの引き合いもあり、一月末には1万台を出荷するようだ。今までは、先ず需要者や業界で人気が決まり、その人気によってメーカーの業績がよくなり、それを反映して株式も高値になるという経過をたどるのだが、今回は株やさんがまず買いにでてきたことになる。業界は負うた子に教えられということになるが、それだけ株やさんがカメラ株に注目し、勉強をしてきたことになる。

その FUJICA 35 AUTO Mであるが、発売前から「近日発売 フジカ35オートM」と表示して宣伝をしている。 宣伝のキャッチコピーはつぎのとおりである。

 

夢のマジックシャッター誕生

ファインダーをのぞく → シャッターを切る・・・

それだけの手軽さで、いつでも美しい写真が撮れる夢のカメラ。

絞りもシャッター速度も変わってピタリ適正露光になる・・・

オートMだけがもつマジックシャッターの魅力です。

 計画以上の台数の輸出向けの出荷が先行したこともあり、2ヶ月遅れて,1962年3月に国内発売をされた。富士フイルム社史「富士フイルムのあゆみ」のなかでもその経緯が記されているので転載する。

 カメラに露出計が組み込まれるようになったのは1950年代後半からであるが、1960年代になると、さらにシャッター速度や絞りと連動して、シャッターを押すだけで自動的に適正露光が得られるカメラの出現が望まれるようになった。この自動露光機能をもったカメラをElectric-Eyeの頭文字をとってEEカメラといい、各社とも競って開発を進めた。当社も、1961年9月に“フジカ35SE”を改良して、シャッター速度優先のEEカメラ“フジカ35EE”を発売し、同年11月には、廉価で使いやすい“フジカ35オートマジック”を発売,ユーザーニーズに応えた。

次いで,1962年3月、当社は、これまでのEEカメラの壁を破った世界最初の複式プログラムシャッターを装備した“フジカ35オートM”を開発し、国内と海外同時に発売した。
これまでのEEカメラは、シャッター速度をセットしてシャッターを切れば自動的に絞りが決定される方式か、被写体の明るさに対応してあらかじめプログラムされた一組の絞りとシャッター速度が自動的にセットされるプログラムシャッター式の機構であった。
しかし“フジカオートM”の複式プログラムシャッター機構は、シャッター速度がどこにセットされていても、まず絞りが調節され、絞りだけで調節しきれなくなるとシャッター速度が自動的に調節されて適正露光が得られるもので、EEカメラでありながら5種類の異なったプログラムを自由に選ぶことができる。AE(Automatic Exposure)カメラとも呼ばれ,国内市場はもちろん、海外市場でも好評を博した。その後,1964年(昭和39年)9月には,露出計の受光感度をより高くするため,受光素子をセレン(Se)から硫化カドミウム(CdS)に換えた露出計組み込みの“フジカV2”を発売した。

 

 FUJICA 35 AUTO M は連動距離計内臓、シャッター速度は1/500秒まであること、そして、従来のプログラムシャッターよりも利用範囲の広い「コパル・マジックシャッター」を組込んだカメラとしては値段が16,500円と比較的安い価格で特色のあるカメラである。

富士フイルムは1959年から35㎜レンズシャッターカメラ市場に参入し、FUJICA 35M 発売以来、どちらかというかと角ばった箱型のボディのものが多かったが、FUJICA 35 AUTO M はそれらとは異なり、他社のカメラ同様に比較的丸みを帯びた柔らかみのあるイメージのカメラである。

ブライトフレーム用の明かりとり窓と露出計受光窓、距離計窓の3つを一体にして中央の飾り窓内にまとめ、ファインダーカバーのデザインの斬新性には目をひくものがある。シャッター速度を1/30~1/500秒のどこにセットするかによって、自動的に5つの違ったプログラムが選べ、シャッター速度を間違って選択してもEE機構が自動的に修正してくれるという便利な機構を備えているカメラである。

1957年9月にFUJICA 35 Mを発売してから約4年半で、やっと普及型35㎜レンズシャッターカメラを富士フイルムが自信をもって世の中に送り出したカメラといっても過言ではないのではないだろう。

 

 FUJICA V2

露出計の受光感度をより高くするために、受光素子をセレンから硫化カドミウム(CDS)に変えた露出計を組み込み、あらゆ光の条件に対応するEEカメラとして、FUJICA V2 は1964年9月に発売した。FUJICA 35 M から続いてきた、ボディ底部にあったフイルム巻上げレバーを上部に変更した。

 

 FUJICA 35 AUTO X

FUJICA 35 AUTO M の後継機として、露出計の受光素子を CDS に切り替えた試作品を完成させたものの、製品化されなかった。