[63] FUJI PHOTO FILM の特殊カメラ
FIJI PHOTO FILM 製のカメラの中で、一般市場には販売されなかった特殊カメラがある。 そのひとつは 軍用カメラであり、もうひとつは 特殊大型カメラである。
なお、これらのカメラは、特殊なカメラのため、諸元不詳につき、諸元表は作成しない。
[軍用カメラ]
戦時中、いわゆる小型航空カメラといわれる分野は、小西六写真工業(六櫻社)、東京光学、日本光学が主力であり、富士フイルムは、海軍の射天点観測写真機、陸軍の自動航空写真撮影現像投影装置という特殊なカメラを製作した。
戦後、自衛隊向け小型航空カメラでも、小西六写真工業が主力であったようだが、富士写真フイルムも1970年前後と考えられるが、2機種を製作している。
これらの自衛隊向け小型カメラは、1992年3月16日付で、防衛庁(現 防衛省)の装備品としての小型航空カメラの調達仕様書が廃止となっており、小型航空カメラの製作は終了したと考えてよいようだ。
その後は、航空機のスピードで流れないような機能をつけて、測方偵察レーダー、赤外線探査装置を装備し、低高度パノラマ、高高度パノラマ、前方フレームの3種のカメラによって、雨中でも、夜間でも偵察・撮影ができる高性能デジタルカメラに変わってきている。
富士写真フイルム射点観測写真機
海軍の仕様に基づき、1940年に製作され、納入された。
富士写真フイルム自動航空写真撮影現像投影装置
陸軍の仕様に基づき、1941年に製作され、納入された。
富士写真フイルム手持航空写真機
海軍航空技術研究所工学部の要請により、小西六写真工業と共同設計・共同制作により、幅90㎜の有孔長尺フイルムを使用するフォーカルプレーンシャッター付の小型軽量カメラで、フイルム巻き上げ、シャッターチャージが右ハンドルの往復運動でできるものとし、1944年までに70台を納入。海軍の偵察機や戦闘機による偵察と戦果確認用に使用された。
富士写真フイルム 小型航空カメラ4×5
防衛省の仕様に基づき、製作納入されたが、製作は1970年前後ではないかと考えられる。
本体底面にはメーカー名のプレートをされているのと、レンズ名が、明示されている。
富士写真フイルム 小型航空カメラ4×5E
カメラの仕様詳細が不詳のため、4×5と比べ、4×5Eがどのような特徴で製作されたのかは分からないが、画像から判断すると、ファインダー手前の本体上部にスイッチが装着されている。
[特殊大型カメラ]
FUJICA G820
東京オリンピック開催を前にして、羽田空港の国際ビル改築に合わせ、コダックが9×3mのカロラマ展示を発表し、物議をかもしだしたが、空港ビル側は、国産メーカーでは、技術的には不可能と判断した とした。
富士フイルムは、既に、Gカラー誕生までの基本的な技術開発は着々と進められていたが、羽田空港国際ビルでの展示切替は、コダックとの契約済みでもあり不可能と判断し、羽田に変わる効果的な場所の物色をし、新幹線の各駅構内の広告媒体に白羽の矢をたてた。 しかしながら、従来の駅構内の広告は乱雑もいいところで、その反省もあり、新幹線の方では、厳しい条件を付けられた。
杉山吉良氏によるヌード展「讃歌」が、三越デパートで開催され、会場を提供した三越デパートの不安をよそに、続々と観客が押し寄せ大成功となり、Gカラーの品質と迫力に、Gカラーの評価は高まっていった。
ネガカラーフイルムの質のよって異なるが、20倍から45倍くらいが引き延ばしの限度とされていたが、このFUJICA G680では、5×15mの引き延ばしが可能 (4×5インチのネガで1×4m、8×10インチのネガで3×9mが限界)となり、広告媒体でのGカラ―の大型展示が広まっていった。
ただ、この機材は、世界一大きいおみこしカメラともいわれ、フイルム交換は暗室が必要となるし、関連する機材も含めると、200キログラムとなり、運搬にも苦労をするだけではなく、撮影までの準備にも苦労をする超ビックなカメラであるが、このカメラは4台制作されたと聞く。
なお、このカメラは、8×20インチの特製シートフイルムを使用する暗箱式カメラで、FUJINON SWS 300㎜ f9レンズを搭載し、カメラの全長は3mとのことである。
※ 富士フイルム製カメラのあゆみ について、昨年の8月~アップしてきましたが、富士フイルム製カメラコレクションにあたり、ご協力をいただいた全国のコレクター仲間からの要望もありあり、気楽に始めました。 その時点でのお約束は、翌年末まで・・といってはみたものの、大幅に遅れてしまいました。 途中で、スチルカメラだけでも、年末までに・・ということであらため、なんとか、アップすることが出来ました。 年をあらためましてから、残るインスタントカメラ、8㎜撮影機をアップしていきます。
射点観測写真機の使い方を知りたくてで検索したら、このページに行き着きました。
このカメラは富士フイルムの歴史で一番最初のカメラかと思いますが、実機はどこかに残っているのでしょうか?ご存じなおでしょうか。
橋本さま
お問い合わせをいただきありがとうございます。
富士フイルム製カメラコレクションをしていますときに、いろいろと調べましたが、富士フイルムとしては、軍からの要請された機材は、完成品を納入するだけで、すべて現物を残していないとのことでした。
従いまして、記録として残されているのは、富士フイルムの社内史「富士フイルム50年のあゆみ」(1984年10月刊行)に、写真とともに掲載されているのみということかもしれません。
早速のご回答ありがとうございます。
戦争中の光学機器は、日本工学や、小西六の製品は比較的資料を見ることが出来ますが、富士となると、かいもく資料が見当たりません。20年ほど前に、戦争中、この写真機の開発に携わった方に設計資料を見せてもらったことがありましたが、そのときはあまり興味はなく記録もとっていませんでした。今となっては大変惜しいことをしたと思っています。
ご丁寧にありがとうございます。
そうなんですね。
ききながしてしまい、あとで後悔することが多々あります。
特に富士フイルム製カメラのコレクションをしていて、富士フイルムは、フイルムの出荷量に結びつけるためにカメラを次から次へと出していたのではないかと思われることもありました。
フイルム関連の資料は保管されているのですが、カメラ関係の資料はもとより、カメラそのものも保管されていなかったり・・
富士フイルム光機開発部にお伺いしたことがありますが、かつてのカメラを分解して研究した後、組み立てなおしていないカメラをいくつか見ました。
わからないことが多いために、コレクターとしてのおもしろさもあったのですが・・。わからないことだらかのカメラの歴史をつなぎあわせるために、当時の富士フイルム光機部、光機開発部にお邪魔したのですが、現場の方々では、つかめないことが多すぎました。
結局、カメラを売って苦労をされた営業マンの方々の記憶をたどるしかありませんでした。そのたぐり寄せた未完成のぢ量を元に発刊のお手伝いをさせていただいたのが、朝日ソノラマ社刊行の「クラシックカメラ専科」富士フイルム製カメラの特集号でした。 この発刊によって、さらに得られた情報も多岐にわたり、今回のホームページアップとなった次第です。