久しぶりの「3Dクラフトフォト」制作
約3年ぶりに、お手伝いをしている「青少年おもカメ倶楽部」の作品展を開催しました。
昭和の香りがたくさん残る旭川銀座商店街をトイカメラで撮影した作品展を・・ということでしたが、その発端は、これまた、昭和の香りがプンプンする旭川銀座商店街の中核施設ともいわれた「銀ビル」にある碁会所「銀座囲碁倶楽部」に併設された「銀座ギャラリー」で・・とのメンバーからの発案がきっかけとなりました。
そして、作品展のテーマも「帰ってきた青少年おもカメ倶楽部@銀座通り」
久しぶりの作品展、どれだけのメンバーが参加するのだろうかと心配しながらも、声掛けをして、新たなメンバーも加わり、6名が参加、34作品の出点となり、無事、去る7月1日から13日までの2週間開催できました。
今回の作品展は、かつて、特注した12インチ角のスクラップブッキング用フレームを使用し、黒のマット紙を入れて飾るということを統一規格として打ち出しました。
撮影会を開催しながらも、どのような作品作りをしようかと悩みながら、持参したトイカメラ、「SMENA 8M」「LOMO Lc-a+」「COSINA CX-2」「LOMO Fisheye2」を持ち歩き銀座通り界隈をふらふらと・・。
そして、思いついたのが、久しぶりに「3Dクラフトフォト」作品で・・と。 でも、考えられる難問がいくつも出てきました。 それでも、こんなことがないと、チャレンジもできないだろうと、自分に言い聞かせながら、制作することにしました。
難問1 作品の厚さがフレームの関係で、今まで作成している半分の5㎜しか取れず、立体感が出せるか。
→ 作ってみなければ、わからない。
難問2 A-4サイズの作品は、写真の印画紙の腰の強さでは、バックシートを入れなといと凸凹になってしまう。
→ 厚手のインクジェットプリンター用紙を使用してみよう。
難問3 インクジェットプリントとして、写真画質をどこまで得られるか。
特に、他のメンバーの作品との整合性をどうするか。
→ 超光沢面の用紙を前提として、彩度とコントラストとを気にかけながら
プリント条件を何回か調整して乗り切れるのではなかろうか。
・・・そして制作作業にとりかかったものの、さらに難問が勃発・・・
難問4 想像以上にインクジェットプリント紙自体の繊維質が写真に比べ粗く、カットするとバサバサが出る。
→ デザインナイフのカッター刃の交換頻度を高めるしかない。
難問5 用紙表面に塗布された処理剤の影響か、カッター刃の欠損が多発しすぎる。
→ カッター刃の交換しか対処の方法がない(A-4 1作品で14~5回の交換)。
難問6 カット縁の処理に使用する薄墨用毛筆の浸み込み吸収が早すぎ、にじみがでてくる。
→ 毛筆の先端を使用して、手早くやるほかないか?
難問7 貼り重ねる作業用に使用する貼って剥がせる両面テープの威力が出ない。
→ いったん貼り付けると剥がせないので位置決めが難しい。
わずかでも、剥がすとインクまではがれてしまう。
今後の課題がわかっただけでもありがたいことですが、試行錯誤のうえ、8作品を何とか作り上げ、展示することができたことに満足しています。
[参考]
「銀ビル」、正式には銀座センタービルといわれ、1967年(昭和42年)旭川銀座通り商店街の中核施設として誕生したビル。
銀ビルがあった場所の前身は、1909年(明治9年)に設立した芝居小屋『大黒座』で、1920年(大正9年)に『錦座』と改称し、芝居のみならず映画も上映するようになった。
その後、錦座は松竹のロードショー館となり、館名を『松竹座』と改称、戦後間もない1946年(昭和21年)、火災により焼失。その跡地は売却され、『銀映座』として再建されるも、程なくして映画館は閉館。そして現法人創業者によって“銀座センタービル”がその跡地に建設され、現在に至る。
地上8階、地下1階のビルは、結婚式場や展望回転レストランなどを有し、当時の旭川市を代表する総合施設となっていたが、商店街の衰退と共に現在では旭川銀座商店街の事務所や、いくつかの店や事務所などを残すのみとなってしまった。