今年もおわった 赤麦の丘

今年もおわった 赤麦の丘

美瑛を全国区にまで名前をとどろかせてくれた 故前田真三さん、仕事の関係で、何度か拓真館を訪ね、事務所でお目にかかりましたが、昼間は農作業くらいで時間はあるので、何か面白い話でも聞かせてくれ・・と、よく言われたものでした。

拓真館ができて、美瑛に住む日数も増え、撮影は、ほとんどが、早朝と夕方とのことで、昼間は、農作業と写真の整理と原稿の執筆・・・ということでした。そして、代表作ともいわれる「麦秋鮮烈」を撮影したときの感動を熱く語られていたのを思い出します。

この「麦秋鮮烈」のモデルとなったのが、赤麦ともいわれる「タクネ小麦」という小麦の種類ですが、その後、収益性の高い他の品種にとってかわり、美瑛の畑からは姿を消してしまいました。

1999年の美瑛開基100年を前にして、美瑛町内有志による「赤麦を復活させる会」(今日では、「赤麦を守る会」)が発足し、高谷農園の絶大なるご協力で、毎年、「赤麦の丘」をカメラマン並びに観光客の目を楽しませていただいております。

貴重な赤麦の風景を楽しませていただくだけではなく、地場産品として「赤麦ビール」や、「赤麦粉」を使用した「赤麦うどん」[赤麦スパゲッティ]「赤麦カステラ」「赤麦クッキー」などなどと広がりを見せてきています。

 

毎年、「赤麦の丘」には、撮影に通うのですが、今年は、なかなか、タイミングが合わず、夕陽を浴びた「赤麦の丘」の撮影はできませんでしたが、強い風雨などによって倒れることもなく、刈り取りの日まで元気に育ってきました。