[6] SUPER FUJICASIX(2)

SUPER FUJICASIX 補足

SUPER FUJICASIX ならびに SUPER FUJIKASIX M 発売で更なるステップアップを期待したが、おりからの35mmブームのあおりをくい、期待した成果をあげるところまではいかなかった。しかしながら、 SUPER FUJIKASIX M の製造で自信をつけた富士フイルムは、翌年3月には、小田原工場鏡玉部門を富士写真光機に移設を決定し、富士写真光機としてはレンズ部門が強化され強力なボディ部門とともにカメラレンズを設計製造する専門企業となり、その後のカメラ開発に一層の力をつけていった。

 1930年前半から20数年間、スプリングカメラの全盛期であった。セミ判スプリングカメラの基本形を完成したのは、ZEISSSuper Semi Ikonta と言ってよい。日本国内でも多種多様のセミ判スプリングカメラが作られたが、もっとも長期間生産されたのは、小西六のSemi Pearl シリーズである。Semi PearlSuper Ikonta はクラシックカメラというより、畳み込まれる軽量ボディの中判カメラとして愛用された。

したがって、SUPER FUJICASIX を製造中止して、約30年後1983年3月にFUJICA G645 pro.ジャバラ を発売されるや問合せが殺到し、夢のスプリングカメラの再生をどれだけ願っていたのかがよくわかる。デジタル化した今日でも、FUJICA G645 pro.ジャバラ が中古市場で人気があるということからしてもスプリングカメラに対する思い入れは相変わらずと言うことなのでしょう。