富士山周遊の旅 その4 掛川城
掛川城に行った日は、早朝は珍しく雪が積もり真っ白な世界だったとのことで、ボランティアガイドさんの説明を受けながら約50分、御殿から天守閣まで案内をしていただき、冷え切った床の上にいるだけでも寒いのなんの・・・。
ただでさえ忘れっぽい年になって聞くのですから、せっかくのガイドさんのお話をおぼろげながらの記憶をたどってまとめてみると次の通り。
室町時代、駿河の守護大名が遠江進出を狙い、家臣に命じて築城させたのが掛川城のはじまり。
戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城し、大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注いだ。その後、高知に移り、掛川城を模して高知城は作られた。
安政の東海大地震で、御殿などを残して損壊し、御殿は役場などに使用されたほかは、城址公園として残された。
昭和40年代になって、天守閣復元の動きはあったものの実現せず、昭和62年になって、東京から掛川に移り住んだ白木ハナエさんという老婆が、掛川市に5億円の寄付を申し出たことにより、天守閣復元の機運がもり上がった。
どうせ、復元するなら、本格木造天守閣の復元を・・とのことで、掛川市民の浄財を集め、約11億円となり、復元工事が行われた。
復元の図面づくりには、掛川城を模してつくった高知城にその資料が残されていて、その資料を参考にして、全国から腕利きの職人が集められ、平成6年4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたとのこと。